青森地方裁判所弘前支部 昭和62年(ワ)184号 判決 1992年8月24日
原告
対馬一博
ほか一名
被告
日動火災海上保険株式会社
主文
一 原告らの請求を、いずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告一博に対し、金四九七万円及びこれに対する昭和六二年一一月八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告栄子に対し、金九四九円及びこれに対する昭和六二年一一月八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、自動車損害賠償保障法一六条一項に基づき、原告らが、被告に対し、自賠責保険金の支払いを求めた事案である。
一 争いのない事実
1 原告らは、次のような交通事故(以下「本件事故」という。)に遭遇した。
発生日時 昭和五九年五月七日午前六時五〇分頃
発生場所 静岡県富士市田中町一八六番地先の路上
加害車 大獄金市運転の普通乗用車(沼津五五ろ九四六四号)
被害車 原告一博運転の普通貨物車(青四四ろ九〇一四号)
事故の態様 右大獄が前方の安全確認を怠つて進行したため、加害車が停車中の被害車に追突した。
2 被告は、本件事故当時、右加害車について自賠責保険契約を締結していた。
3 原告らは、本件事故によつて、原告一博が<1>右僧帽筋圧痛、<2>頸部棘突起圧痛、<3>両上肢腱反射軽度昂進、頸部大伸展時痛の後遺障害を、原告栄子が<1>右顎下に約四センチメートルの瘢痕ケロイド、<2>鼻下に約二センチメートルの線状痕、<3>右頬に約二センチメートルと約一センチメートルの外傷性刺青を伴う線状痕、<4>右頬の軽度膨張の後遺障害をそれぞれ負つたとして、被告に対し、自動車損害賠償保障法一六条一項に基づく自賠責保険金の支払を請求した。
4 被告は、自動車保険料算定会青森調査事務所(以下「調査事務所」という。)が行った調査に基づき、原告一博には自動車損害賠償保障法施行令別表(昭和六〇年一月二二日政令第四号による改正前のもの、以下「後遺障害等級表」という。)一四級の一〇(局部に神経症状を残すもの)に該当する後遺障害が認められるが、原告栄子には同別表に該当する後遺障害は認められないと査定した。
5 被告は、昭和六一年六月三〇日、原告一博に対し、後遺障害等級表一四級該当の七五万円及び治療費関係などの二一万三四一〇円合計九六万三四一〇円の自賠責保険金を支払つた。
二 争点
1 原告一博に後遺障害等級表三級の三或は九級の一〇に該当する後遺障害が認められるか否か。
2 原告栄子に後遺障害等級表七級の一二に該当する後遺障害が認められるか否か。
(原告らの主張)
1 原告一博は、本件事故によつて負つた前示の後遺障害のために、現在に至るも、頸背部痛、左上肢・右下肢の痺れ、胸が苦しい、めまい、吐き気などの症状に日常的に悩まされ、また、毎日にようにけいれん発作があるほか、一週間に一回以上の全身発作(めまいなど)があり、就労について相当の制限がある。
したがつて、原告一博の右後遺障害は、後遺障害等級表三の三(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの)に該当し、少なくとも九級の一〇(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)には該当する。
2 原告栄子は、本件事故によつて負つた前示の後遺障害のために、著しい顔面醜形と寒冷期の右頬疼痛に悩まされている。
したがつて、原告栄子の右後遺障害は後遺障害等級表七級の一二(女子の外貌に著しい醜状を残すもの)に該当する。
3 原告一博は、後遺障害等級表三級該当の自賠責保険金一八九八万円と既に支払済みの一四級該当の自賠責保険金七五万円との差額一八二三万円の内金四九七万円を、原告栄子は、後遺障害等級表七級該当の自賠責保険金九四九万円をそれぞれ請求する。
(被告の主張)
1 原告一博の症状はその裏付けとなる器質的変化が医学的所見によつて証明されていないから、原告一博に原告ら主張の等級に該当する後遺障害は認められない。
2 調査事務所が昭和六〇年五月一三日に原告栄子に対して行つた面談調査の結果によれば、原告栄子に後遺障害等級表に該当する後遺障害は認められない。
第三争点に対する判断
(争点1・原告一博の関係について)
一 原告一博の症状の推移や治療経過について、証拠によれば、次のような事実が認められる。
1 原告一博は、本件事故当時の昭和五九年五月七日、静岡県富士市所在の渡辺整形外科病院で診察を受けた。主訴は、頸部痛、背部痛で、頸椎捻挫、背部打撲と診断され、患部の湿布と投薬の治療を受けた。
(乙八、原告一博本人)
2 昭和五九年五月九日から同月一八日まで、原告一博は、弘前市所在の健生病院に通院した(実通院日数は三日)。主訴は頸部痛、背部痛で、頸部捻挫と診断された。患部の湿布と投薬の治療を受け、症状は一応軽快した。
(乙九、原告一博本人)
3 その後、原告一博は、頸部痛がぶり返したと訴え、昭和五九年七月六日から昭和六〇年五月一七日まで、青森県北津軽郡板柳町所在の葛西整形外科医院に通院した(実通院日数は一〇〇日)。主訴は頸部痛、頸部の運動制限、視力障害、頭重感で、外傷性頭頸部症候群と診断された。頸椎牽引、患部のマツサージや湿布、鎮痛剤の投薬などの保存療法的治療を受け、最終的には、症状は一応軽快した。
なお、右視力障害の訴えについて、原告一博は、昭和五九年一〇月二三日、弘前市所在の伊藤眼科医院で診察を受けたが、倒乱視、眼精疲労と診断され、視野検査の結果は正常だつた。
(乙六の一ないし六、乙七、一〇ないし一三、原告一博本人)
4 その後、原告一博は、再び頸部痛がぶり返し、しかもそれが以前より増強しているなどと訴え、昭和六〇年九月三日から、弘前市所在の弘前大学医学部附属病院(以下「大学病院」という。)の整形外科で診察を受けた。主訴は、<1>頸部痛に伴う、胸の苦しさや肩の痛み、<2>手の脱力感や痺れであつたが、他覚的所見に異常は認められず、また、レントゲン写真にも異常所見は認められなかつた。
(甲八の一の一・二、甲八の二の一・二、甲九の一ないし七、甲一八、証人佐藤隆弘、原告一博本人)
5 昭和六〇年九月四日、同月六日の両日、原告一博は、息苦しさなどを訴え、板柳町所在の板柳中央病院で診察を受けた。主訴は、呼吸困難、四肢末梢の痺れ、胸部不快感などで、過換気症候群(心身症の一種で、不随意的に起こる過換気発作により、呼吸器、循環器、脳・神経・筋肉系などの全身性に多彩な身体症状を呈する症候群)の疑いと診断された。
そして、原告一博は、同月七日から、大学病院の第二内科(心臓疾患の関係を扱つている。)で診察を受けたが、諸検査の結果、他覚的所見に異常は認められず、心臓神経症の疑いと診断された。なお、精神安定剤の投与によつて、やや症状の改善が認められた。
(甲一三の一ないし四、甲一四の一ないし三、甲一五の一ないし四、甲一六、一八、乙七、一六、一九、原告一博本人)
6 大学病院の整形外科の原田医師は、原告一博について、昭和六〇年一〇月二九日付けで、<1>傷病名は頸部痛、<2>自覚症状は、頸背部痛、左上肢・右下肢の痺れ、頸が痛くなると胸が苦しくなる、<3>後遺障害は、右僧帽筋圧痛、頸部棘突起圧痛軽度あり、両上肢腱反射軽度昂進、頸部最大伸展時痛あり、<4>障害は固定したものと思われる旨の自賠責保険後遺障害診断書を作成した。
(甲一、乙一五)
7 ところで、原告一博は、右のような障害固定の診断を受けた後も、更に、自覚症状が増悪し、頸部痛、背部痛、腰部痛、吐き気、ゲツプがつかえる、めまい、不正脈、視野狭窄、上半身のけいれん、手が上がらないなどの多岐にわたる愁訴(愁訴の中には、過換気症候群の発作と認められるものもあつた。)を訴え、大学病院の整形外科に通院したが、やはり、他覚的所見に異常は認められなかつた。同整形外科では、右のような不定愁訴に対して、精神安定剤を投与するなどの治療をしたが、長期にわたり症状の改善が認められなかつたため、原告一博に大学病院の第一内科のPSD(心身症のこと)外来を紹介した。
(甲八の三の一・二、甲八の四の一・二、甲八の五の一・二、甲八の六の一・二、甲八の七の一・二、甲八の八の一・二、甲一八、乙七、証人佐藤隆弘、原告一博本人)
8 原告一博は、昭和六三年二月二〇日から、大学病院の第一内科のPSD外来で診察を受けた。諸検査の結果、やはり他覚的所見に特に異常は認められず、神経症(心気症)と診断され、精神療法や精神安定剤の投与などの心身症的な治療を受けたが、症状の改善は認められなかつた。
なお、心気症とは、神経症の中で最も多くみられるもので、自己の健康状態について必要事情に心配する状態で、検査上ではなんらの身体的所見も見出されない。訴えとしては、頭痛、頭重感、肩こり、めまいなどがあり、色々な病気を心配して不安となり、あれこれ思い悩む。心気的な訴えが、時には妄想と間違えられるくらい頑固なことがある。
(甲一〇ないし一五、甲一一の一ないし六、甲一二の一ないし一一、甲一八、乙五、七、証人佐藤隆弘、原告一博本人)
9 原告一博は、現在に至るも、前示のような多岐にわたる愁訴を訴え、大学病院の整形外科に通院を継続している。
(甲一八ないし二〇、原告一博本人)
二 右の認定事実を基礎として、原告一博に後遺障害等級表三級の三或いは九級の一〇に該当する後遺障害が認められるか否かを検討する。
1 後遺障害等級表の各後遺障害に該当するか否かの判断は、原則として、労働者災害補償保険における障害等級認定基準(労働基準局長通牒、以下「認定基準」という。)に準拠して行うべきである。
(乙四、弁論の全趣旨)
2 認定基準によると、後遺障害等級表三級の三に該当するためには、「生命維持に必要な身のまわり処理の動作は可能であるが、高度の神経系統の機能又は精神の障害のために終身にわたりおよそ労務につくことができないもの」であることが必要であり、四肢の麻痺、感覚異常、錐体外路症状及び失語等のいわゆる大脳巣症状、人格変化(感情鈍麻及び意欲減退等)又は記憶障害などの高度のものが、これに当たる。
また、九級の一〇に該当するためには、「一般的労働能力は残存しているが、神経系統の機能又は精神の障害のため、社会通念上、その就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるもの」であることが必要であり、身体的能力は正常であつても、脳損傷に基づく精神的欠損症状が推定される場合、てんかん発作やめまい発作発現の可能性が、医学的他覚的所見により証明できる場合或いは軽度の四肢の単麻痺が認められる場合など(たとえば、高所作業や自動車運転が危険であると認められる場合)が、これに当たる。
(乙三、弁論の全趣旨)
3 これを本件についてみるに、原告一博に生じている障害は、前示のとおり、専ら主観的な自覚症状に基づく愁訴であつて、他覚的所見に特に異常は認められず、過換気症候群、心臓神経症、心気症などと診断されているに過ぎない。このように、原告一博に生じている障害は、その裏付けとなる器質的変化が医学的他覚的所見によつて証明されていない不定愁訴に過ぎないから、右2の認定基準の内容に照らして、後遺障害等級表三級の三或いは九級の一〇に該当しないことは明らかである。
ところで、認定基準によると、医学的に証明し得る精神神経学的症状は明らかでないが、頭痛、めまい、疲労感などの自覚症状が単なる故意の誇張ではないと医学的に推定されるものは、後遺障害等級表一四級の一〇に該当するとされている(乙三、弁論の全趣旨)。そうすると、前示のような原告一博に生じている障害は、右一四級の一〇に該当するというべきである。(乙三、七、一七)。
三 以上の認定・説示によれば、原告一博には、原告ら主張の等級に該当する後遺障害は認められず、一四級の一〇に該当する後遺障害が認められるだけである。
したがつて、原告一博の請求は理由がない。
(争点2・原告栄子の関係について)
一 認定基準によると、後遺障害等級表七級の一二に該当するには、原則として、次のいずれかに該当する場合であつて、人目につく程度以上のものでなければならない。すなわち、
(1) 頭部にあつては、てのひら大(指の部分は含まない。以下同じ。)以上の瘢痕又は頭蓋骨のてのひら大以上の欠損
(2) 顔面部にあつては、鶏卵大面以上の瘢痕、長さ五センチメートル以上の線状痕又は一〇円銅貨大以上の組織陥凹
(3) 頸部にあつては、てのひら大以上の瘢痕
(乙一、弁論の全趣旨)
二 これを本件についてみるに、調査事務所が昭和六〇年五月一三日に行つた面談調査の結果によれば、原告栄子の外貌には、<1>顔面の鼻下部に二・〇センチメートル×〇・一センチメートルの線状痕があるが、肌色を呈していて、接近しても分からない状態にある、<2>顔面の右頬部に〇・七センチメートル×〇・二センチメートルと一・二センチメートルの線状痕があり、いずれも薄い青色を呈している、<3>頸部に一・五センチメートル×〇・一センチメートルと三・〇センチメートル×〇・五センチメートルの瘢痕があり、前者は肌色を、後者は褐色をそれぞれ呈している、という醜状所見が認められた(乙一、二の一・二、二〇)。
そうすると、右<1>、<2>の顔面の線状痕は、長さ五センチメートル以上の線状痕ではないうえ、人目につく程度以上のものとはいえず(この点は、昭和六〇年一二月初旬に原告栄子の胸部から上を撮影した写真(甲五の一ないし三)によつても裏付けられる。)、また、右<3>の頸部の瘢痕はてのひら大以上のものではないから、右一の認定基準の内容に照らして、原告栄子の外貌の醜状所見が後遺障害等級表七級の一二に該当するとは認められない。
ところで、認定基準によると、(1)頭部にあっては、鶏卵大面以上の瘢痕又は頭蓋骨の鶏卵大面以上の欠損、(2)顔面部にあつては、一〇円銅貨大以上の瘢痕又は長さ三センチメートル以上の線状痕、<3>頸部にあつては、鶏卵大面以上の瘢痕、のいずれかに該当する場合であつて、人目につく程度以上の醜状所見があれば、原則として、後遺障害等級表一二級の四に該当するとされている(乙一、弁論の全趣旨)。しかしながら、原告栄子の右<1>、<2>の顔面の線状痕は、長さ三センチメートル以上の線状痕ではないうえ、人目につく程度以上のものとはいえず、また、右<3>の頸部の瘢痕は鶏卵大面以上のものではないから、原告栄子の外貌の醜状所見が後遺障害等級表一二級の四に該当するとは認められない。
なお、当裁判所は、原告栄子の外貌の醜状所見を明確にするため、被告の申請に係る原告栄子の外貌を対象とする検証を採用したが、原告栄子が三回にわたり不出頭を繰り返したため、検証採用を取り消すに至つており、この点は、後遺障害等級表該当性の判断に当たつて、原告栄子に不利な事情として斟酌せざるを得ない。付言すると、原告栄子は、顔面及び頸部の傷跡を直すための手術が予定されていながら、結局、この手術を受けておらず(甲七の六・七、原告栄子本人)、この事実によれば、原告栄子自身、現在では、顔面及び頸部の傷跡をさして気にはしていないのではないかとも推測される。
三 以上の認定・説示によれば、原告栄子には、後遺障害等級表に該当する後遺障害は認められない。
したがつて、原告栄子の請求は理由がない。
(裁判官 田村眞)